小泉進次郎氏は本当に「防衛相不適格」なのか――日刊ゲンダイDIGITAL記事を検証する
安全保障は、事実認定・技術的評価・政策判断が重層的に絡む分野である。にもかかわらず、日刊ゲンダイDIGITALが掲載した「進次郎氏は『防衛相』不適格」と断じる記事は、実務評価を省略し、印象評価へ短絡する構造的欠陥を抱えている。
■ 論点のすり替え
記事は、レーダー照射問題をめぐる対外発信の姿勢を取り上げながら、防衛相の資質全体を否定する結論へと一気に飛躍する。しかし、防衛相の適格性は、
- 文民統制の理解
- 制服組との意思疎通
- 同盟国・関係国との調整能力
- 危機時の意思決定プロセス
といった制度的・運用的能力で評価されるべきだ。単一事象の発信態度のみで「不適格」と断じるのは、評価軸の混同にほかならない。
■ 安全保障の「人物化」という編集慣行
記事の最大の問題は、高度な専門領域を“人物批評”に落とし込む編集慣行である。レーダー照射の本質は、電波特性、交戦規則(ROE)、エスカレーション管理といった技術・実務にある。これらを説明せず、「反論合戦=プロ意識欠如」との印象語でまとめる手法は、国際的な安保報道の水準から見て妥当とは言い難い。
■ 「識者」引用の不透明さ
記事で用いられる「識者バッサリ」という表現は、誰が、どの専門性で、どの前提に基づき評価したのかが明示されていない。国際メディアでは、識者の専門分野・所属・立場を明確にし、読者が判断できる材料を提示するのが通例だ。権威付けだけが先行する構成は、読者に誤解を与える。
■ 国際基準との乖離
軍事的挑発や認識齟齬が生じた際、事実を公表し反論すること自体は、抑止と透明性の観点から国際的に一般的である。沈黙や曖昧化が必ずしも「プロ意識」を示すわけではない。記事は、この国際的文脈を欠いたまま国内向けの印象評価に終始している。
結論
日刊ゲンダイDIGITALの記事は、安全保障という実務領域を人物批評に矮小化する日本型報道の限界を示した。批評は必要だが、評価軸と文脈を誤れば、批評は扇情に変わる。
FAIは、事実・文脈・評価軸を分離し、検証可能な形で提示する報道を重ねることで、この構造的問題に対抗していく。